みなさま。お知らせです。
今年度から「アーティスト・イン・児童館」は東京アートポイント計画に参加します。
東京アートポイント計画は、東京にある様々な人、まち、活動をアートプログラムでつなぎ、新たな文化を創造・発信しようとする文化事業です。今年から新たに始まります。これまでの文化事業は建物を建てまくるいわゆる「ハコモノ」が中心でしたが、近年ソフト志向に舵をきり、ついに僕らの活動のようなものまでもがその波に乗ることになったようです。
さて、アートプログラムによる持続的な文化の創造・発信を目指すこの計画ですが、はたしてどうなるのでしょうか。
ぼくは「アーティスト・イン・児童館」のようなプログラムは、その本質だけを残して風化するべきだと思っています。重要なのは「アートであること」ではなく、「ヘンテコなことが起きること」だと思っているからです。ヘンテコなことをつくり出す文化だけが生き続ければいいと思います。別にそれがアートである必要性はないと思うし、アートだ、と言って格好つける必要もないです。
例えば、うちの地元のもんじゃ屋「わらべ」の店長は「リアルドラえもん」になって町中を歩いたことがあるらしいのですが、こういう「ヘンテコなこと」をする人がいていいし、便乗する人がいていいし、それらをはやしたてて笑う人がいて、ふざけるなと言って怒鳴る人がいていいはずです。「ヘンテコなこと」を冷笑するのでも、「わからない」「危ない」と言って忌避するのでもなく。
ぼくはその「ヘンテコなこと」を介して人々が交わっていくその渦中にいたいし、そういう風景を見ていたい。(子どもたちが集まっている児童館に飛び込んだのは、その欲求を叶える最初のステップだったのかも知れません。彼らは「ヘンテコなこと」をすることが仕事みたいなもんですから。)でも、そういう風景を立ち上げるために、「アート」という言葉と制度を使っている現状を、本当は嘆くべきでしょう。「アート」だとか「プログラム」だとか、言ってしまうことで潰している可能性が多々あることを、忘れてはならないと思っています。
住宅地に入り込んできた「アート」や「プログラム」がやがて風化し、「ヘンテコなこと」がキノコのようにポコポコと自然発生する生活文化に出会えることを希求しています。でも、「ヘンテコなこと」というキノコが生えるためには、「アート」や「プログラム」も栄養として必要だと思うから、これらの言葉と制度と、今しばらく付き合っていこうと思います。これからの数年間は、今まだ始まったばかりのグジュグジュした「アーティスト・イン・児童館」を、一度パリッと固める期間になるでしょう。
さぁ、そんなことを考えている僕らも参加する「東京アートポイント計画」。これからの展望を披露するイベントが、7月18日(土)に大開催です。
乞うご期待!
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