2009年8月24日月曜日

浮島の島民になる


8月17日の夜,実行委員会の臼井、菊地、高木、山口で東京から新潟に向かいました。 ♯2の招待作家である北澤潤さんが参加している水と土の芸術祭2009浮島を体験するためです。


「浮島(うきしま)」は新潟市を流れる信濃川にぽっかりと浮かんでいました。
私たちが訪れたときには既に住まいがあり、集会所があり、灯台があり、炊事場があり、なんとお風呂までありました。本当に此処で暮らしているんだなという臨場感が私をわくわくさせました。

ここでは火をおこしてコーヒーを淹れることもできるしご飯も炊けるし、スープも煮込める。洗濯もできるし、昼寝をするにも快適。野菜を育てることもできる。生活するということをみたら普通のことかもしれないけれど、”どこで”生活しているかと客観的に見たときにそのヘンテコさが浮かびあがってきます。
普通じゃないところで普通のことをする。そんな浮島に「島民」として3日間滞在しました。

島民は島での出来事を手記として記します。北澤さんは日誌班として島民日誌と写真での記録をしており、島を訪れた人が自由に閲覧できるようになっています。昼過ぎから夕方にかけて多くの人が訪れます。毎日来る人、通りがかりの人、芸術祭のスタンプを集めている人、散歩コースの途中で寄る人…訪れる人は様々です。



島で印象的だった出来事をお話します。
小学生の女の子が自由研究で新聞を作るので取材に来たことがありました。どうやら時々浮島に遊びにきているようです。彼女の用意していた質問の一番最後に「このあとうきしまはどうなるのですか」というものがありました。北澤さんへの質問なのですが、なんだかドキッとしてしまいました。浮島は8月31日までの期間限定のもので、なくなることが前提の島なのです。



彼女が訪れて来たとき、私たちは「浮島甚句」をつくろうとしているところでした。新潟には「甚句」と呼ばれる歌謡が多くあり、祭りの時に演奏されそれに合わせて踊りを踊るそうです。島でもお祭りをすることになっていて、浮島の甚句を作ろうということになったのです。彼女は太鼓と笛ができるそうなので、楽器を一緒に作りました。甚句をつくろうとみんなで音を鳴らして踊って時々ふざけて訪れた人を巻き込んで…面白かった。



私たちが島にいる間には「浮島甚句」は完成しなかったのですが、もし完成してそれが歌い継がれていったのなら、たとえ島がなくなったとしても此処に浮島という不思議な島があり、生活している人がいたということを知ることになるでしょう。 また、取材に来た彼女は語り部となるかもしれません。新聞の完成が楽しみです。
浮島を体験して、この島がなくなった時に人々に与える影響・記憶は大きいであろうことを確信しました。
夜行バスで東京に戻ってきて、新潟での出来事がなんだか夢だったんじゃないかなと寝ぼけながら思いました。


浮島の報告は続編を予定しています。
こうご期待!

菊地みぎわ

2 件のコメント:

新潟の島民 さんのコメント...

この場をかりて


皆さんこんにちは。新潟の島民です。




まずは…、
写真とお手紙ありがとうございます!!
今、1枚1枚を大切に見返しています。


皆さんの優しさと思いやりに
抱っこにおんぶだったので恥ずかしいですが、
とても楽しく素敵なひとときを過ごさせていただきました。
小さくても力になれたのがうれしかったです!


アーティスト・イン・児童館の皆さんの
今後の活動を応援しています!
また機会があれば、お手伝いさせてください。

usui さんのコメント...

よ・・・よしのくん!?

コメントありがとう!ぼくたちにとっても浮島での出会いは忘れられない体験になりました。よしのくんと過ごした日々は、北澤氏にとっても大きな勇気になると思います。

またぜひ東京に遊びに来てくださいね!