2009年2月10日火曜日

4つのことばのかたち

相棒のお土産


 

邪魔なポケット


 

テーブルの位置の汚れ

 

暗黙の了解

「Asahi TownVoice 練馬」No.58 掲載情報


朝日新聞サービスアンカー(ASA)が発行する練馬区の情報誌「Asahi TownVoice 練馬」No.58(1月号)に掲載されました。

2009年2月9日月曜日

「キャンパる」記者 海野玄陽さんのコラム

芸術について考えたこと。

芸術とは何だろう。定義は人さまざまであるが、私はこのように思う。「混沌の噴出」である。突然ではあるが、この世界の実相というものはカオスであると私は考える。比喩的な意味ではなく、私はそう実感させられる事例をいくつか聞いたことがある。例えば、目の見えない人が最先端の医療技術によって突如光を得た世界で、その眼に映るものには直線や幾何学的な図形などは存在せず、形も色もすべてが混沌としている世界しか見えなかったという、医療現場での事例。また例えば、人間は目に見えたものを、いったん大脳の言語野で処理してから、それを「物質」として認識しているという事実。人間は自身の作り出した言語や数学などによって、本来無秩序な世界に作成した秩序を張り付けているに過ぎず(数学が真に人間の作りだしたものかどうかという議論はひとまず置いておく)、いうなれば自らが作り出した虚構の世界に生きているに過ぎない。盲目の人は世界の見え方と言語というものがうまく一対一対応していないため、突如光を与えられても、しばらくは自分の脳が眼前の世界を解釈できないでいるのだろう。
さて、私はそんな、本来無秩序でありカオスであり虚構ではない世界の「実相」、それが私たちの目に見えている虚構の世界の表層に穴を空けたときとき、人はそこに芸術を見るのだろうと思う。シュトックハウゼンという音楽家は、9.11を「想像できる限り最大の芸術的行為」と評した。この発言は世界に波紋を広げ、多くのマスメディアは彼を批判したが、その世間の圧力に負けて、彼はつい最近まで音楽活動を休止していた。しかし私は、彼の言いたかったことは「同時多発テロは美しい」という類のものではないと推測する。地球上には何十億という人間がひしめき合って暮らしているが、中には何世紀も前から恨み合っている人種間の対立もある。イラクの反米感情などがまさにそれだ。アメリカはそれまで武力的に勢力を誇示することで、何とか実質的対立を抑えて均衡という「秩序」を両国間の間に与えてきたが、同時多発テロによって一気にその秩序は崩れ去った。すなわちあの事件は、本来混沌とした人間社会のカオスがポンッと噴き出た事件なのだ。捉えようによってはこれは芸術である。岡本太郎の「芸術は爆発だ」という言葉にしてもそうだ。何か均衡の取れた物質を瓦解させる。それは実相の表現に他ならない。
「ことばのかたち」にしてもそうだ。先にも述べたように、ことばというものは、虚構の、秩序だった世界を作り出す。言い方を変えれば、ことばは本来もののかたちを作るものである。その「ことば」自身のかたちを作り出す過程において、子供たちによる誤解や偏見は、たいていの場合混入される。そうして出来上がった「ことばのかたち」は、本来の言葉の意味をまず確実に超越している。世界の根源的要素が言葉だとするなら、その言葉のかたちを捉えなおすということは、世界を根本から捉えなおすということだ。そしてその捉えなおす過程において、一瞬でも言葉の本来の定義が揺らいだとき、つまり世界に秩序を与えていた系が緩やかにほどかれていったとき、そこに私は芸術を垣間見ることができると思う。これが私の「ことばのかたち工房」に感じた想いである。





(1月24日に取材に来てくださった毎日新聞「キャンパる」の海野玄陽さんがコラムを寄せてくださいました。4月に予定されている成果展の取材もしてくださるそうです!)

2009年2月8日日曜日

第8回 ことばのかたち工房 2月7日






「第八回ことばのかたち工房」二日目。


昨日の朝、児童館にやってくると蒲田さんに、
「あまり大人が多くても子どもたちが工房に入りにくいだろうから工作室とかそこらに適当にバラけてね」
と言われました。昨日はスタッフが沢山来る予定だったので、僕含め、工房スタッフ数名は時々工房を抜け出し、ドッジボールやベーゴマなどの遊びに子どもたちといっしょに没頭したりもしていました。

僕なんか、久々にベーゴマをやったら台にすら乗らず、
「おい、ももー(百瀬)。がんばれよー」と呆れ混じりに子どもたちに声をかけられたりして、悔しくて必死に練習していました。(笑)
 それにしても、一端工房を出て、子どもたちの他の遊びに加わっていくと、工房では見られない姿が沢山見えてきてすごく面白い。
工房での作業は苦手でも、ドッジボールに関しては誰にも負けない子、ベーゴマ名人、お絵かき上手な子、オセロが大好きな子、…などなど、当たり前なんですけど、児童館には本当に様々な子どもたちがいるわけです。
 
僕は、東大泉児童館の近くには住んでいないのでなかなか普段の子どもたちの姿を見に遊びにくることはできないので、工房での関わりを通して知る子どもたちの姿が色濃く僕の中にあるわけです。だから、時々工房の外での彼らの遊びに加わり、関わってみることもすごく大切なことのように感じました。そこでしか見えないものもあるからです。
 
児童館は子どもたちの遊びの現場です。僕たちはそこに「ことばのかたち工房」という一つの遊びの現場を提供しているんじゃないかと思います。でも、それは児童館の中でのすべてでは決してなくて、児童館のなかにあふれかえっている沢山の遊びの中のひとつとしてあればいいんだと思います。子どもたちに工房を開いていくだけでなく、工房に関わる人々の心を工房以外にも開いていくこと、これが彼らと関わる上ですごく大事なんじゃないかと改めて強く感じました。

工房では、今回「邪魔なポケット」と「テーブルの汚れ」、「暗黙の了解」ということばのかたちが新たに出てきました。前のブログに書いてあった「北本アーツキャンプ」で今後一緒に活動していく「キタミン・ラボ舎」という市民団体の長の新井さんなども遠方よりはるばるやってきて一緒に作業をしてくれてすごく嬉しかったです。
「一緒に活動していく上でやっぱり(ことばのかたち工房を)見ておきたくて」という新井さんの意識にすごく感銘を受けました。僕自身、もっといろいろな活動に参加して勉強していく必要があると思います。そうすることで、きっと活動をよりよいものにしていくことができると思いますから。
僕自身は工房での作業の方法論を図にしようということで、「ことばのかたち 工房マニュアル」なども作りだしました。「はこ」「つつ」「むすぶ」などのやりかたを折り紙の織り方みたいなかたちで工房の一角に貼ることに。僕らの作業を見て真似て学んでいく子もいますが、それがうまくできない子もいるので、「こんなふうにやればこんなんできるよ!」といったかたちで、もっともっと作る喜びが伝わったらなー、なんて思ったり。実際マニュアルを見て作業している子もいたりして、作ってよかったなという感じです。

 次回の工房は2月20、21日です。工房は今後も続きます!今後は成果展などもあるのですごく楽しみです。お時間のある方は、いつでもふるってご参加ください。

(百瀬)




  

2009年2月6日金曜日

第8回 ことばのかたち工房 2月6日





ことばのかたち工房は今日で8回目をむかえました。


児童館に来る子どもたちにもっとこのことばのかたち工房を知ってもらい、気軽に遊びに来てほしいなという想いから工房で何をやっているのか・どんなものをつくっているのかがわかるようにしようということで、今までにできたことばのかたちをインスタレーションしてみることにしました。朝、ちょっと早めに来て、児童館のカバちゃんこと蒲田さんに相談して、カーテンを壁にかけて、作品をクリップで留めることにします。「ちょっと時計が浮いてるんだよなー」というカバちゃんの指摘で、時計にも「仲間のしるし」をくっつけてみることにしました。工房の中に散りばめられたことばのかたち。
音楽室がという空間が”ことばのかたち工房”としての色合いをより濃くした瞬間でした。

今日のことばは 「相棒のお土産」「暗黙の了解」「交換しやすい」の3つでした。 初めて参加してくれたスタッフもいて、一緒に考えながら作業を進めていきました。

3時をすぎると学校が終わった小学生たちがぞくぞくとやってきます。
今日は友達同士で一緒にくる低~中学年の女の子が多く、「交換しやすい」の絵を描いたり、ことばのかたちを作ったり、グルーガンで布の接着を手伝ってくれたり、ドレスを作ってファッションショーをしたりとにぎやかな工房でした。
きゃっきゃとはしゃぐ子たちの傍ら、集中して布を切ったり貼ったり作業する子もいて、同時ににあちらこちらでさまざまなストーリーが生まれて いるのがこの空間の面白いところです。
午前中に作品を展示した甲斐あって今日は初めて来てくれた子も多く 、いつもとまた違う雰囲気の1日でした。

また、グルーガンを使う際に子どもたちには手袋を着用してもらうことで、火傷などのけがの危険度が減ったのが実感できました。

まだまだやってみたいことや改善していく余地もあるので、今後進化し続けることばのかたち工房から目が離せません。

2009年2月5日木曜日

北本アーツキャンプに参戦







リポートは遅くなりましたが、1月31日、2月1日の二日間、泊まりがけで埼玉県北本市で行われた「北本アーツキャンプ」に参加してきました。

「北本アーツキャンプ」は北本市でこれから展開されていくアートプロジェクトの方向性を参加アーティストや運営チーム、北本市民の方々と一緒に考えていく公開ミーティングです。地域と芸術との関係のあり方に注目が集まる中で、また一つ埼玉県から新しい出来事が始まろうとしています。そこに今回のディレクターを務める水戸芸術館の森司さんからお誘いいただいて、ぼくらは埼玉県に乗り込むことになりました。

ですが、このプロジェクト、ぼくらが行く前の段階では、市全体を巻き込んで展開していくことと、2年間で何かしらの成果を出さなきゃいけないということ以外は何も決まっていませんでした。そんなプロジェクトの立ち上げから参加できるなんて、異例中の異例です。2日間にわたる今回の「キャンプ」は、ゆるく、そして濃かった・・・。

集まったメンバーはそうそうたる顔ぶれ。今回のアーツキャンプの主催である美術家の藤浩志さん、水戸芸術館の森さん、東京芸大の熊倉純子さんを筆頭に、参加アーティストのおなじみ西尾美也さん、KOSUGE1-16のお二人、北千住にあるオープンスペースおっとり舎を運営する大和田俊さん、デザイナーの川村格夫さん、wahの南川憲二さん、パフォーマーの矢口克信さん、、病院の村の北澤潤さんなどなど。こうしたメンバーに、一般市民の方や、取手アートプロジェクトをはじめとする美術関係者の方々を交えてディスカッションが行われたのです。

今回のプロジェクトの大きな目的は「アートを持続可能なものにすること」。町の中にアート作品を置いて観光資源にするだけではなく、地域のいろんな場所や活動の魅力を掘り起こし、アートなるものが“生まれ続けるシステム”をつくることなのだとか。アーティストを呼び込み、作品制作の作業が地域のいろんな活動に絡んでいくような仕組みですね。なるほどその意味では「アーティスト・イン・児童館」と、目指すところは似ています。北本がアートのための広大な“畑”なら、児童館はさしずめ“鉢植え”。いずれにせよ、土を耕す人(地域で活動する人・児童館の職員さん)がいて、そこに種を植える人(アーティスト)が来て、水をまく人がいて(運営する人)、収穫する人(キュレーター・ギャラリスト)が作品を出荷していく。でも、本当はそこに明確な役割分担なんてなくて、全部みんなでやらなくちゃいけない。地域の人も、アーティストも、実行委員会もキュレーターも、対等な立場で「アート」なるものを育て収穫する、農耕型のアートプロジェクトであるという点で、北本で起ころうとしていることと、アーティスト・イン・児童館は似ているなぁと思いました。正確にいえば、似せていかなくちゃ!と思ったのですが。

フィールドのリサーチ、企画の立案・運営、広報・出版といった様々な仕事を、プロフェッショナルを集めて遂行するのではなく、地域の人たちへと開いて、絡み合いながら進行していく必要があるのでしょう。

さてさて、そんなことを考えさせられた北本は、これから長い付き合いになりそうです。というのも、ぼくと百瀬が「北本アートプロジェクト(仮)」の事務局?をすることになったからです。ここで(仮)とか?とかが登場する時点できわめて曖昧なわけですが…。そんなこんなで、現在、必死で北本アートプロジェクトの企画書を書いています。

さて、今後どうなっていくのでしょう・・・?

2009年2月4日水曜日