2009年2月20日金曜日

第9回 ことばのかたち工房 2月20日







今日の午前中、一人の男の子(3歳)と一緒に、ピアノを適当に叩いた不協和音に合わせて変な顔をするという遊びをして爆笑してました。三歳児のあの狂乱っぷりは、デスメタルも顔負け。

今日は、「ことばのかたち工房」の9回目。
すごく単純なことに気づいた日でした。イメージって<知っているモノ>から浮かんでくるんだ、と。

たとえば今日こんなことがありました。
今日のことばの<隠れた思い出>について考えている時に、ふらっと入ってきた子に「<思い出>ってどんなかたちしてる?」と聞いてみると、かれは「さぁ?知らない」と答えます。「どんなでもいいよ、教えて」と聞くと、「あぁめんどくさ。この部屋くるんじゃなかった」といって出て行ってしまいました。

それはそれはショックな事件だったのですが、よく考えてみれば「<思い出>のかたちなんてわかるわけねーだろ」という話です。

しばらくして別の子に、「今、<思い出>のかたちを考えてるんだけどさ、最近楽しかった<思い出>なんかある?」と聞きました。彼は「夏休みに船に乗ったこと!」と答えます。その瞬間に、よし!じゃあ“船”をつくろう!ということになって、布で船を作り始めました。その時は、ひとつの船を作って終わりかな?と思っていたのですが、ところがどっこい。彼は次に布で海を作り、別の船を作り、どんどん世界を拡大していきます。<思い出>をかたちにしていく彼の様子は、溢れ出てくるイメージと戯れ、踊るようでした。

彼にとっては“船”とそれを浮かべる海が<思い出>のかたちをしていて、別の子にとっては“おたまじゃくし”とそれが住んでいるどぶ池が<思い出>のかたち。

ぼくは大人で、抽象表現を知っているから、<思い出>のかたちを考えるときに、ふわふわしたものやあかるい雰囲気のものを作ろうとします。でもそれはそれは難しい作業です。そんな難しい抽象表現という作業を子どもたちにさせようなんて無謀なことで、児童館に遊びに来ている彼らはそれを面倒に思うに決まっているわけです。“船”をつくろう!ということになれば、「あ、楽しそう」と直感できるのでしょう。なぜならそのかたちを知っているから。



“船”も、“おたまじゃくし”もそれ一つで独立しているわけではなく、他のものと関係しながら存在しています。ひとたび“船”や“おたまじゃくし”をつくれば、それがあるところ・住むところを作ろう、次はもう一匹つくろう・・・・という風に、どんどんつながっていく。楽しそう!という直感は、こうしてイメージが広がることへの予感でもあるのかなと思います。実際に船と海をつくった彼は、明日も来て作業を続けるそうです。まだまだイメージとの踊りは終わらない。

冒頭の三歳の彼の<思い出>のかたちも、“ピアノ”と“変な顔”だったりするのかな・・・・・。と、とりとめもないことを思っています。

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